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浦和地方裁判所 昭和47年(わ)39号 判決 1972年9月27日

被告人 川本三郎

昭一九・七・一五生 無職

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(被告人の経歴)

被告人は、昭和四四年三月東京大学を卒業後、朝日新聞社に入社し、東京本社出版局、週刊朝日編集部所属を経て、昭和四六年五月二四日付で朝日ジヤーナル編集部記者になり、学生問題等を担当していた。

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、昭和四六年二月ころ、いわゆる新左翼の京浜安保共闘の活動家と自称する大杉こと菊井良治と知り合い、交際するうち、同人を通じて学生運動を中心とする新左翼の活動等を取材しようと考え、同人と再三会い、種々同人の要望を聞きいれたり、飲酒をともにしては被告人方に宿泊させるなどして、同人と深く接近するに至つた。一方、菊井良治も自己の所属する組織の活動を宣伝する上で被告人を利用しようと考え、かねて、被告人に対し「近く朝霞の自衛隊基地内に侵入して武器奪取闘争をやる」旨予告し、これが実行に使用する自衛官用制服、庖丁等の準備品を見せるなどしたうえ、同年八月二一日夜菊井の指示のもと、武器等奪取の目的で、新井光史、島田昌紀の両名が自衛官の制服を着用して自衛官を装い、埼玉県和光市所在の陸上自衛隊朝霞駐とん地内に侵入し、同所において動哨中の陸士長一場哲雄を庖丁で殺害し、同人の腕から警衛腕章を奪取する事件を起したのであるがその後、右菊井からの連絡により右の事件が菊井らの犯行であることを知つた被告人は、同人に対しその取材方を申し出、その結果、同月二三日東京都中央区築地四丁目三番一三号所在旅館「小富美」において右菊井と会うことになつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四六年八月二三日夕、前記「小富美」において同月二一日前記陸上自衛隊朝霞駐とん地内で発生した強盗殺人等被疑事件の犯人である菊井良治から、右事件についての情報を聴取するとともに、殺害した自衛官から奪取してきた警衛腕章を見せられ、これを写真撮影した後、自己が取材した内容が虚偽の情報でないことの裏付けのためと、右写真の映りが悪かつたときのことを考え、菊井に対し右腕章の供与方を求め、これを承諾した同人から、同人らが前記自衛隊駐とん地に侵入する際使用しようと準備した陸上自衛隊自衛官用ズボン一本とともに、右警衛腕章一枚を、これが前記のような犯罪供用準備物件或いは賍物として重要な証憑であることを知りながら、受取つたのであるが、ついで右腕章とズボンを所持したまま週刊朝日所属の友人上野武記者の誘いに応じ、同人の居住する同都杉並区上高井戸西一丁目二六番五号朝日新聞社高井戸寮の同人方に赴き、同人と飲酒した後、翌二四日午前二時ころ、肩書住居の自宅に帰宅しようとした際、自己が右腕章、ズボンを所持していることから朝霞自衛官殺害事件の犯人のひとりと誤認されることをおそれ、右上野に対し右警衛腕章一枚、自衛官用ズボン一本の焼却処分を依頼してこれを手渡し、同人をして同年九月上旬ころ、右高井戸寮内焼却炉においてこれを焼却せしめ、もつて右菊井良治らの強盗殺人等被告事件に関する証憑を湮滅したものである。

(証拠の標目) (略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は

(一)  刑法第一〇四条(証憑湮滅罪)の規定から自己の事件に関する証憑を湮滅した場合には右犯罪の成立しないことはいうまでもないが、証憑が自己の事件に関すると同時に他人の事件にも関係する場合に、他人のためにではなく、専ら自己のために行為したときにも本罪の成立は認められないものと解すべきところ、被告人に本件の証憑である腕章が菊井らの強盗殺人事件の証憑であることの認識はあつたにせよ、他方右腕章を所持していることによつて右事件の共犯者とされるか或いは自己が証憑湮滅罪に問われると考え、換言すれば、腕章は被告人にとつて自己の刑事事件の証憑と認識され、専ら自己のために、その焼却を依頼したものであるから、被告人の本件所為は証憑湮滅罪の構成要件該当性を欠くものであると主張する。

しかしながら、本件の場合、被告人が焼却した警衛腕章が果して自己、すなわち被告人の刑事事件に関する証憑といえるであろうか。被告人が菊井らの強盗殺人事件の共犯者でないことは勿論のこと、被告人が菊井から本件腕章を受取り、そのまま所持していただけでは証憑湮滅罪に問われることもないし(なお前示「罪となるべき事実」の項に被告人が菊井から右腕章を受取り所持していた点を掲記したが、右事実はこれを犯罪事実として示したものではなく、焼却という湮滅行為に至る経過事情として記載したにとどまる)その他、腕章焼却以前における腕章に対する被告人の行為にして刑事事件たりうべきものを見出しえない本件にあつては、右腕章は被告人自身の刑事事件に関する証憑というをえず、従つて腕章が被告人の刑事事件にも関する証憑であることを前提とする弁護人の右主張は、その余の判断をまつまでもなく、理由がないこととなる。

(二)  仮に、本件腕章が被告人自身の刑事事件に関する証憑とはいえないとしても、証憑湮滅罪が他人の事件に関するものに限定されている趣旨は自己の事件に関する証憑の湮滅等の行為が人情の自然として湮滅しないことを期待しえないからであることを考えると、被告人の所為も同様に期待可能性を欠くものである。すなわち被告人はその時相当に酔つており、深夜でもあつたことから職務質問を受けることは十分にありえたのであるが被告人は強盗殺人事件の腕章を持つており、しかも主犯らしい菊井とは従前の取材活動において共に飲んだり自宅に泊めたりしている関係があることから、取材記者の常道を理解していないものには身の明かしをたてることが極めて困難であつた。従つて自分に不利なものを湮滅することが無理もないとする本罪の趣旨は本件の場合にも準用されるべきであり、被告人の所為は期待可能性を欠くというべきであると主張する。

なるほど、前掲証拠によれば、弁護人が主張する右のような事実を一応認めることができるけれども、被告人が本件腕章の焼却依頼をするに至つた当時にあつては未だ被告人が職務質問を受けていたわけでもなく、また被告人においてこれを焼却処分してしまうまでのことはなかつたものというべく、本件記録にあらわれた全ての資料を綜合するときは、本件所為の事情上健全な通常人である他のものを被告人と同一の地位状況下においたならば、他にとるべき適法行為はいくらもあつた(例えば、前記上野記者にこれが保管を依頼することなども、その一方法であろう)ことを肯認するに充分であり、被告人が本件所為を思いとどまることは当時の状況からいつて到底不可能であつた事実は全く窺われない。

以上のとおり、弁護人の右主張はいずれも採用のかぎりではない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第一〇四条、罰金等臨時措置法(刑法第六条により昭和四七年法律第六一号による改正前の法律)第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役一〇月に処するが、刑法第二五条第一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとする。

(量刑の事情)

民主主義社会の基盤の重要な一部とみられる国民の「知る権利」を十全に実現するため、報道の自由とともに、報道のための取材の自由が広範囲に且つ十分に尊重されなければならない現在、これが自由を保持するため、報道機関に課せられた責務は極めて重大であり、いやしくも取材の自由の名のもとに、安易に取材源に接触し、果ては犯罪グループに深入りし、これが活動を助長する結果を招来し、或いはこれらグループのプロパガンダに利用されるなどのことがあつてはならないことはいうまでもない。かかる観点からみて、被告人が本件において取材活動の範囲を大きく逸脱し、犯罪行為にまで走つたことは誠に遺憾というほかはない。

とりわけ、本件の証憑、ことに警衛腕章は、社会の耳目を聳動させた、いわゆる過激派グループによる朝霞自衛官強殺事件の唯一の賍物として重要な物証であり、被告人において右の事情を十分承知しながらこれを受取り焼却したものであつて、結果として被告人の本件所為により国家の刑事司法作用が甚だしく妨害されたことは否定できず、被告人の犯情は重く、その責任は重大であるといわなければならない。

しかしながら、他方被告人に酌むべき情状がないわけではない。すなわち、本件前後を通じて被告人に菊井ら過激派グループを支援し、その活動を助長する意図があつたとまでは認められず(この点に関する証人菊井良治の当公判廷の証言はそのまま信用しない)また、被告人が菊井から本件腕章等を受取り預かつた理由及びこれを焼却するに至つた事情は前判示のとおりであつて、被告人には当初から犯人の依頼により前記自衛官殺害事件の捜査、審判を妨害しようとする積極的な意思があつたわけではなく、前説示のとおり、被告人の所為に犯罪不成立の主張を容れる余地は到底ありえないが、記事取材上、菊井と接するうち、同人の性格に魅力を感じ、同人の組織するグループに興味を抱いた被告人が同人との接触に深入りし過ぎたこと、慎重を欠いたスクープ熱に煽動させられた結果、若干の首肯し難い行動に出た末、本件犯行を敢行しているのであつて、被告人の本件所為は計画的、確信的というよりは多分に偶発的、情緒的事情のもとに生じたと認められるので、犯情悪質とまでは評価し難く、さらに被告人の身上関係についてみるに、被告人は前科前歴のないことは勿論、新聞記者として優秀な能力を持つていたと思われるのに、本件により朝日新聞社から退社処分を受け、既に相当の制裁を科せられており現在一応反省の態度も見受けられ、前途有為な青年であることが窺われる。以上のほか、本件審理にあらわれた全ての情状を綜合考量した結果、前示のとおりの刑を量定し、その執行を猶予した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

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